古代の墓制(~8世紀)
縄文時代や弥生時代、古墳時代は、小規模から大規模までさまざまな塚や古墳が建造されています。特に有力な首長層の死体に対し、畏怖と祭祀の対象として塚や古墳はつくられました。古墳は埴輪や埋葬品とともに死者を弔うために築かれた墳丘で、形状は円墳や前方後円墳が主流です。特に5世紀から6世紀にかけては、日本最大の前方後円墳である大仙陵古墳など、規模の大きな古墳が数多く築かれたのです。
『魏志倭人伝』や『隋書倭国伝』では古代の葬儀に関する情報が記録されています。その文献では、死者を収めるための喪屋と呼ばれる小屋をつくり、そこで、死後十数日の間、食膳、哭泣、歌舞が繰り返されると記されています。
ただ、いずれの文献も中国側の伝聞史料であるので、確かなことは分かりません。ですが、当時の宗教観から推察すると、死後の穢れを祓うために、鎮魂の期間として死後の一定期間は殯という一連の儀礼が執り行われることは、十分にあり得ることであると思われます。
また、死者のために小屋を作るという喪屋の風習は、殯の風習としてながく伝えられます。大化の改新後の646年に出された「大化の薄葬令」で、庶民の殯の風習は禁止されることになりますが、死者を特定の小屋や囲いに収める葬送は、その後も続きました。明治や大正のころまで、八丈島などの伊豆諸島の島々には喪屋の風習が残っていたと記録されている資料もあります。
古代の天皇の殯について詳しく記載されている文献は『日本書紀』で、天武天皇に関する記事です。天武天皇の殯は686年9月9日から688年11月11日までの約二年間の長さにおよぶものでした。しかし、この後に続く持統天皇の葬送儀礼は、伝統的な殯儀礼の一部を取り止め、期間も短く、天皇として初めて火葬を採用しました。天皇の葬送はこれ以降、古来の壮大な葬送儀礼は徐々に廃止されていき、新しく火葬も取り入れられ、山野へ散骨する天皇も出てきたのです。
中世の墓制(9世紀~16世紀)
平安時代初期(8世紀~10世紀)には、仏教の影響を受けて墓制が変化し、墓石や塚を用いた標識付けが行われるようになります。また、火葬が始まり、遺体を火で焼くことで浄化し、骨を納める形式が一般化したのもこの時代です。
中世の墓制は、寺院による管理運営が一般的でした。この時代には、寺院に納骨堂が建てられ、遺骨を安置する形式が広まり、仏教の教えに基づいて、供養塔や五輪塔といった塔婆(とうば)が建立されました。これらの塔婆は、死者の霊を慰めるために建てられ、民衆の信仰の対象となりました。

近世の墓制(17世紀~19世紀)
江戸時代には、仏教寺院による墓地体制が盛んになり、一族の墓所を持つ家も増えました。この時代には、石碑や墓石を立てる形式が主流となり、墓石には戒名や没年月日が刻まれました。また、火葬が広まり、江戸時代中期から後期にかけて、火葬が一般的な葬送方法となり、火葬場が整備されるなど、火葬の方法も現代的なものに近づいていきます。また、仏教以外の宗教も墓制に影響を与え、キリスト教徒の墓地や、神道の石祠(いしみや)などが登場しました。
近代から現代の墓制(20世紀~現在)
明治時代に入ると、政府による近代化政策の影響で、墓地の整備や管理が行われます。
また、戸籍制度の改革により、家族や一族での墓地の共有が一般化し、家族墓が増加しました。昭和時代以降は、都市化や核家族化に伴い、従来の墓地スペースが不足し始めました。
これに対応するため、納骨堂や共同墓地が整備され、都市部では墓地の高層化が進んでいます。
また、環境保護や高齢化社会への対応として、自然葬や樹木葬などの新しい葬送方法が登場しました。自然葬は、遺体や遺骨を自然に還すことを目的とした葬法で、地球環境に配慮し、墓石などの使用を最小限に抑えます。
一方、樹木葬は、遺骨を樹木の根元に埋める方法で、遺骨が樹木に還ることで自然と調和した葬法となっています。さらに、最近では、インターネットを活用した仮想墓地や、宇宙葬といった先進的な葬送方法も登場しています。
これらの新しい墓制は、現代社会の多様化に対応するために生まれたものであり、今後も墓制は変化し続けることでしょう。
まとめ
日本の墓制の歴史は、古代から現代まで様々な変遷をたどってきました。古代の塚、古墳から、中世の寺院墓地、近世の家族墓、そして現代の自然葬や仮想墓地まで、時代のニーズや文化、宗教の影響を受けて墓制は進化し続けています。
今後も、日本の墓制は変化し続けることでしょう。社会の多様化や技術革新が進む中で、さらなる新しい墓制や葬送方法が登場する可能性がありえます。例えば、遺体の処理方法として、資源化が検討されるようになるかもしれません。また、遺骨や遺品を使ったアート作品や記念品としての需要が高まることも考えられます。
さらに、デジタル技術の進化によって、遺影や供花のデジタル化が進み、墓参りの方法も変化するでしょう。これらの変化は、墓制の歴史を通じて常に繰り返されてきたものであり、現代も例外ではありません。
日本の墓制は、これからも時代の流れに合わせて変化し続けることが予想されます。今後の墓制の発展に注目していきましょう。